私が生まれ育ったのは、千葉県の外房(房総半島の外側)御宿町の岩和田という場所。
かつては『岩和田村』という小さな漁村でした。
ここで少し、岩和田の歴史について
1609年、岩和田村の田尻の浜にフィリピンからメキシコへ向かうスペイン船が難破し、
人口300人に過ぎない岩和田村に、317人もの異国人が上陸しました。
岩和田の村民たちは必死で救出にあたり、その後1ヶ月間にわたり、村内の家々に分宿させ共に過ごしたそうです。
ここから日本とスペイン、メキシコの親しい交流が始まり、その証として田尻を見下ろす丘の上にメキシコ記念塔が建てられました。

岩和田からメインの公共施設が消えた!!

岩和田地区は漁村らしく、海と山に囲まれた平地に住宅が密集して建てられています。
小さな集落だけど碁盤の目状に通りが走っていて、この地図の右から入宿、中宿、下宿、後宿、そして海から離れた旧小学校の右側一体を扇町、という5つの町内会に分かれています。
岩和田にある大きな公共施設は、通称「漁民アパート」と呼ばれた団地と小学校、保育園の3つでしたが、今はいずれも空き施設もしくは解体済みとなっています。
さらに空き家も年々増えていて、ざっと目視で分かる範囲でも60軒以上はあるかと思います。
そして居住者は半数以上が65歳超の高齢者です。
岩和田の思い出
私は高校生までをこの岩和田で過ごし、大学生からは上京してしまったので、既に人生の半分以上は岩和田の外の空気を吸って生きてきました。
それでも小さい頃の楽しかった思い出や今は亡きおじいちゃん、おばあちゃん含めた家族と過ごした時間がたくさん詰まった岩和田は、今でも私にとって心の拠り所です。


わたしにできること
このままいくと、10年後、20年後の岩和田はどうなっているんだろうか。
ここ数年、実家に帰ってくるたび、そんな思いが頭をチラチラかすめていました。
- 両親の介護の問題があるかもしれない
- 既に空き家が増えた近所もさらに空き家が増えて、岩和田全体が荒廃してくるかもしれない
- 人影がなく物寂しい地域になっているかもしれない
- さらには、地域として機能しなくなり、消滅するかもしれない
現状から想像できる将来は、そんな暗いものばかりでした。
そこで、私も他人事のように眺めているのは止めて、きちんと向き合おうと決心しました。
私はこれまで建築と英語の勉強をしてきて、国内外で建設のプロジェクトマネジメントの仕事をしてきました。国際交流や交流拠点の運営にも力を入れてきました。
また地方活性化の分野に知見や実績を持つ方々とのネットワークもあります。
二拠点生活からのスタートとなりますが、もう一度、岩和田の人達の輪の中に溶け込んで、一緒に岩和田の明るい未来をクリエイトしていけたらと思っています。
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